思い出補正

今朝は飛行機雲がよく見えた。

「天を縫い合わす飛行機 その翼の美しさを」を思い出す、空気のよく冷えた晴れた日。年末に母からお歳暮をいただいて、年明けには年賀状をもらった。年末、来年も同じように受け取ることは難しいだろう。病状についてよいことはなく、そろそろ緩和に移行かというところ。いまだ自活できている点は本人の気力のなせる業か。ただ物理的距離からひんぱんに見に行くこともできないし、夢見もよろしくない。プライドがとても高い人なので、あからさまに弱者対応することをひどく嫌うので、適度に見守る程度である。死は誰にでも訪れるものだけれど、いつそこにつくのか終わりが見える、または終わりに向かって進んでいることをあまり感じることはないように思う。ましてや自分がその対象になると思う人がどれだけいるだろうか。ブランドン・リーの墓標と同じだ。

Because we don't know when we will die, we get to think of life as an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times, and a very small number really. How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood, some afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four or five times more, perhaps not even that. How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps twenty. And yet it all seems limitless.

https://en.wikiquote.org/wiki/Paul_Bowles


5年相対生存率1.4%ですなぁ…という闇を抱えつつ。
https://ganjoho.jp/public/cancer/pancreas/treatment.html

2017/11での余命半年宣告から、1年以上経過してはいる。同居家人の心配が絶えることはないが、ゆっくり時間が過ぎてくれたらなといつも思う。一緒にいる人も、いるならいるで辛いことがあるだろうし、本人に言えないこともあるだろう。以前様子を見に行ったときは、プライドが高いがゆえの会話が成り立たない、そもそも会話に参加してこないというものであった。その頃はほぼ食事ができず体重も30キロ台だったとみられるから、心配した家人が海外のプロテインやサプリなどで栄養の補給をするよう勧めたのだけれど、そういったものは嫌いだの一言で会話を終了させてしまった。以来、まともな会話ができておらず、私が伝書鳩のように会話の橋渡しをしてやっと会話らしきものができる程度であった。その後はちょいちょい会話はしている模様である。母の苛烈さは私など到底及ばない。年を取って丸くなるかというとそうでもない。そのようにして生きていくのだろう。


仕事は同じようにクソからクソを作る作業で、その途中で心が折れて人がいなくなってゆく。ここにはもうクソを新たに作り出す力もないのだ。業務に関わらないベンチウォーマーを上司に持つと、何もしないプレイをしてくれるので現場の環境がよくなるわけもない。まともな人間が残らなくなっていくだけだ。泥試合ならぬ泥沼へのご招待。

半年たった思い出は、ある人の中では美しくなっているのだろう。思い出になったのは金がないからであるけれども。全てが考慮されて組まれたかのように捉えることはできる。でもそれはあくまでも偶然でしかない。なんとなく辻褄をあわせようとしたところはあるけれど、そんなに何もかもうまくいくものか。