例えば僕がしんだら

死は過去の一点なので時間と一緒に忘れさられるもの。悲しみは一時的だと考える。

死者に言葉はないし気持ちももうない。残された人は過去に引きずられないように生きていくべき。相手がいないなら生きている意味がない、というのは短絡的な考え方で自分の生き方を無駄にする。宗教的にも割と前向きに考えられていると思う。

 

死が生の終わりだとするなら、終わりがくるのは確かだけれど、それがいつなのか分からない。だからいつまでも生きていられるように錯覚する。けれど違う。あるとき不意に終わってしまうこともあるし、それこそ本人の意志とは全く別のところでぷっつりと途絶えてしまうかもしれない。

 

後悔しない生き方を、とは言うけれど死の淵でも見ない限り、そういう考えは一時的に思っても忘れてしまう。死は隠すものではないのに、伏せられがちだと思う。子どものころから死を見ておけばよいのにと思う。それは人でも動物でも。

 

死は残酷だろうか。

 

死ぬまでの過程によるんじゃないだろうか。それを思い起こして残酷であるとか怖いとか思うのではないか。自分が死んだ後はもう気にすることはないけれど、周りにその心がけがないのだったら、心がけくらいしておけよと思う。過去を振り返って後悔しても、何も生まないのだし。こうなったら、こう、程度の軽いものでいいから最悪の事態があるってことは考えておいてよいのではないだろうか。

 

 

死ぬのがこわくなくなる話 (小説)

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